6月4日放送の「Abema Prime」に実業家の西村博之(ひろゆき)氏が生出演し、生活保護制度についての持論を展開しました。厚生労働省の発表によれば、2024年度の生活保護申請件数は速報値で25万9353件となり、前年度比3.2%増。これで5年連続の増加となりました。
番組内でこの話題が取り上げられると、ひろゆき氏は「申請数はどんどん増えた方がいい」と発言。続けて、「日本の場合って、生活保護水準を切っているのに申請していない人が3倍くらいいる」と問題提起しました。
さらに欧州の例を引き、「ヨーロッパでは8〜9割が申請しているのに対し、日本では“取るのがよくない”という空気がある」と日本特有の価値観に言及。その上で「“取るのが当たり前”という空気にした方が、ギリギリの状態で苦しむ人は減るのでは」と語りました。
■ ネットの反応は?
この発言に対して、Yahoo!コメント欄では賛否両論が巻き起こっています。
肯定的な声としては、
- 「生活保護は国民の権利。もっと使いやすくすべき」
- 「恥ずかしいことじゃない。制度を必要としている人が利用できる社会こそ健全」
特に、コロナ禍や物価高騰の影響で生活が困窮した経験を語る人々からは、制度利用のハードルを下げることへの賛同が寄せられています。
一方で慎重な声も目立ちます:
- 「制度の悪用もあるし、簡単に受け取れるようにするのはどうかと思う」
- 「本当に困っている人のための制度。モラルを守らないといけない」
不正受給への懸念や、“自己責任論”を掲げる意見も根強く、生活保護を巡る社会的な対立構図が浮き彫りになりました。
■ “自己責任”の限界と、制度の意義
日本社会には「頑張って働いてこそ一人前」とする価値観が根強くあります。そのため、生活保護を受けることに対して“甘え”や“恥”といった感情を抱く人も少なくありません。
しかしながら、病気や失業、家族の介護など、自分の力ではどうしようもない事情で生活が困窮するケースは多く存在します。ひろゆき氏の「制度を使うことが当たり前という空気にすべき」という提言は、そうした現実に即した考え方とも言えます。
欧州のように“セーフティネットは当然の権利”という社会モデルに学ぶことは、日本社会の持続可能性を考える上で避けて通れない課題です。
■ まとめ:必要な人が、必要な時に使える社会へ
生活保護制度は“最後の砦”でありながら、多くの人が利用をためらってしまう現実。その背景には、制度を巡る偏見や無理解が少なからず存在します。
ひろゆき氏の発言は、その空気感に風穴を開けようとするものだったのではないでしょうか。助けを求めることを「恥」とせず、必要な人が安心して支援を受けられる社会。そんな未来の実現に向けて、私たち一人一人の意識改革が問われているのかもしれません。
ブログ主コメント:たまに区役所へ行くと、生活保護課の前に並んでいる人を見かけます。気にも留めないけど。確実に増えていると実感します。